「道端の記憶」は、なぜ人を育てるのだろう
幼児教育の編集者ノート #2
「道端の記憶」は、なぜ人を育てるのだろう
- こどもと歩く時間について考えることがあります。
大人だけなら5分で着く道も、こどもと一緒だとなかなか前に進みません。
石を拾う。
葉っぱを見つける。
アリの行列を見つける。
ダンゴムシをツンツンしてまるくする。
水たまりを覗く。
突然立ち止まり、何かをじっと見つめている。
大人はつい言いたくなります。
「また今度ね」
でも、こどもにとっては、その瞬間しかない大発見なのかもしれません。
以前、第1回で「道端の記憶」という言葉に触れました。
東京大学の入学式での野田秀樹さんの祝辞で話題になった言葉です。
目的地へ向かう途中で出会ったもの。
寄り道した時間。
偶然見つけた景色。
一見すると、何の役にも立たないもの。
でも、人は案外そういうものをずっと覚えている。
思い返してみると、自分のこどもの頃の記憶もそうでした。
授業で覚えたことより、
友達と帰った道。
雨上がりの匂い。
校庭の隅に咲いていた花。
ともだちが四葉のクローバーを見つけた時の笑顔。
そういうものの方が、なぜか鮮明に残っています。
人の記憶は、効率だけではできていないのかもしれません。
むしろ、少し寄り道した時間の方が、後になって思いがけない形で自分を支えていることがあります。
そう考えると、保育の時間の見え方も変わってきます。
散歩の途中で立ち止まること。
虫探しが始まること。
予定より少し時間がかかること。
大人から見れば遠回りに見えるかもしれません。
でも、その寄り道の中に、こどもの育ちの大切な時間が流れているのかもしれない。
保育者は、子どもを目的地へ急がせる人ではなく、
ときには一緒に立ち止まる人でもある。
のかな。
効率よく進むことが求められる時代だからこそ、寄り道の価値を忘れないこと。
それも、保育が社会に届けている大切なものの一つなのかもしれません。
「好奇心のゆりかご」になれたら素敵ですね。
幼児教育の編集者ノート
保育・教育の現場から、人間の育ちを考える記録。
忙しい毎日の中で、少し立ち止まって未来を考える時間になればうれしいです。
(企画広報室 松野)
















