先生になるぞ!

ロンドン文化幼稚園園長先生

今日はロンドンから一時帰国している、ロンドン文化幼稚園園長、安里(あさと)先生が久しぶりに本校を訪ねてくれたのでいろいろとお話を伺いました。

(聞き手:理事長先生)

(左から 馬渕三好文化幼稚園元園長 理事長 安里ロンドン文化幼稚園園長)

■ 先生は本校で学ばれました。

□ 私は名古屋文化学園保育専門学校夜間コースの出身です。

当時は第2(夜間部)という名前でした。この学校で学んだことが私の教員生活の始まりでした。

もう50年も前のことです。

 

 

■ 出身は三重県と聞いています。

□ そうです。三重県の田舎者です()

今でこそ津市という名前になっていますが、あの頃は一志郡でした。

高校は商業科だったため、親は卒業後は地元の銀行か農協かなにかそういう固いところに就職するものだと思っていたようですが、私は、高校に行く前からどうしても保育の道に進みたくて、、、、反対されたため親に内緒でこの学校に進学しました。

親には反対されてしまったので自立する必要があり夜間のコースを選択しました。

 

 

■ 昼間の勤務はどんなことをしていましたか。

□ 最初は学校近くの会社の事務員として働いていましたが、系列の三好文化幼稚園で事務の人が欲しいということで、学校からはちょっと遠かったのですが、昼間、三好文化幼稚園で働くことになりました。

三好文化幼稚園は1972年にできたばかりの幼稚園でした。

園長先生も三重県出身の方でしたからいろいろな事を教えていただき楽しかったです。

 

 

■ 本校で三好文化幼稚園前園長の馬渕先生と出会ったわけですね。

□ そうです。馬渕さんとは保育専門学校の同じクラスで、卒業後は私がロンドンに来るのと馬淵さんが三好文化幼稚園に就職するのと入れ違いで一緒には働いていないんです。

でも、ずっと長い付き合いですね! 

私が日本に帰ってきた時には必ず会っていましたし、会う時は日本とイギリスの保育の違いなど良く話しました。

1995年には馬渕さんにロンドンにも来ていただきました。

 

 

■ 三好文化幼稚園での生活はいかがでしたか。

□ 当時の園長先生の藤谷先生にはいろいろと教えていただきました。

私の保育の基礎を教えていただいた方です。

それと絶対に忘れられないのが加藤重也先生です。

当時の理事長先生です。

今の加藤紳一郎先生のお父様にあたる方で、藤谷先生に保育の基礎を教えていただいたとしたら加藤重也先生には保育の心を教えていただいたと思っています。

私は先生の言うことをハイハイと聞く方ではありませんでしたので、生意気にも自分が納得するまで先生に自分の意見をぶつけていました。

いつも撃退されてしまうのですが、理事長先生は時には私の意見も聞いて取り入れてくださったりしてくださいました。

そんな時はとても嬉しかったですね。

藤谷先生もすごい人で、理事長先生とも互角にやりあうような人でした。

電話で理事長先生と怒鳴り合っている姿を覚えています。

そんなお二人の会話などが身につき今の私があるのだと思います。

 

 

■ それから津幼稚園に異動したのですね。

□ はい。

私、地元は三重県ですので理事長先生が、私が一人娘と言う事もありそろそろ地元に帰ったらどうかと配慮してくださり、津幼稚園に転勤することになりました。

そこでは1年間だけ森園長先生に指導を受けたのですが、考え方の相違があっても絶対認めてもらえなかった事や私が三好文化流のやり方で通そうとするので楽しい1年ではなかったです。

 

 

 

■ そしてイギリスに行くのですがそのきっかけは何でしたか。

   三好文化幼稚園での生活が楽しかっただけに、私にとって津幼稚園は安住の地ではありませんでした。

失意の中、年末のお遊戯会でこどもたちのお遊戯の題材として取り上げたイギリスの童謡マザーグースの世界に魅せられしまったんです。

「イギリスってどんな国なんだろ」と考えました。

こどもたちにマザーグースのことを説明するためにいろいろな本を読んでいる内に「あっ、イギリス行きたい」と思ってしまったんです()

津幼稚園は1年間だけのお勤めで退職してしまいました。

 

 

 

■ そうすると遊戯会がきっかけでイギリスに行くことにしたのですか。

□ そうなんですが、その遊戯会でマザーグースの童謡を題材に選んだのは加藤重也先生だったので、重也先生のおかげでイギリスに興味を持ったのです。

また、元々英語に興味があり勉強もしていたのでまずはいろいろな国々を見てみよう、ということでヨーロッパ各地を見て回りました。

イギリスだけではなくフランス、チェコ、東ドイツでベルリンの壁も見ました。

そして最後、目的地のイギリス、ロンドンに到着。そこではオーペアビザというのですが、イギリスの家庭に入ってこのこどもたちのお世話をしながら語学学校に通うという生活をしていました。

1年のオーペアビザが切れる前に日本食が食べたくて日本食レストランに行き、そこで働いていた男性と知り合いました。

今のパートナーです。

めでたく結婚することになりました。

 

 

 

■ ロンドンでの生活にはすぐに慣れましたか。

□ ロンドンでの生活はいろいろと困難もありましたが楽しいものでした。

しばらくすると日本人コミュニティーに参加するようになり、その中で、こどもたちにいろいろと教えて欲しいという希望を聞くようになりました。

ロンドン在住の駐在員の人たちはいつかは必ず日本に帰る訳ですから、帰ってからのこどもの教育についてとても悩んでいたんです。

日本に住んでいれば必ず接するようなこと、ひな祭り、こどもの日、七夕などの年中行事や「どんぐりころころ」のような誰でも知っている歌ですね、ロンドンで生活しているとそういうものに触れることがない。

当然、日本の文化や日本語そのものと接する機会もないので、帰国してからの教育に駐在員の人たちはとても悩んでいたんです。

 

 

 

■ そして安里先生の登場ですか()

□ 私自身、子育て真っ最中の時期でしたので、私も他の日本人の人たちと一緒に子育てコミュニティーに参加していました。

その内に私が日本で幼稚園の先生をやっていたことが知られるようになり、皆さんからこどもたちの教育を担当して欲しいという声が多くなりました。

そこで幼稚園の真似事のようなことを始めたんです。

それがだんだん大きくなり、もう一人の先生と一緒に小規模な幼稚園のようなものが出来上がっていったのです。

 

 

■ そしてアクトン幼稚園やゴーダスグリーン幼稚園(後にフィンチェリー幼稚園となる)にお勤めする訳ですね。

□ そのようなことをしている内に、私のことが日本人コミュニティーの中で噂になってきて、前田学園が運営している幼稚園の園長として迎えられました。

前田さんの依頼で日本から教員を呼びたいとのことで、私の母校である名古屋文化学園保育専門月学校からも数名の教員をフィンチリー幼稚園に呼び寄せました。

しかし前田さんは幼児教育者ではないんですね。

経営者としては立派でしたが保育については私が尊敬できる方ではなかったので、そこでも自分は学べないと思い、「こどもたちのための幼稚園」を作りたくて独立を考えるようになりました。

 

 

 

■ どのように独立したのですか。

□ 私が尊敬するのは加藤重也先生です。

先生に相談し賛同していただき独立することになった訳です。

新しい園にはもちろん「ロンドン文化幼稚園」という名称をいただいて、保育内容も名古屋文化学園のやり方で進めるようになったのです。

最初はいろいろな困難もありましたが加藤重也先生や名古屋文化学園保育専門学校出身の後輩たちに支えられて順調な旅立ちをすることができました。

 

 

 

 
 
 
 
 
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■ ロンドン文化幼稚園設立が1996年と聞いています。それから四半世紀が経ちました。

□ 必死の思いの26年間でした。

日本とは違いイギリスの制度に悩まされたことも度々でした。

でもこどもたちが、毎日、元気に登園してくれることや保護者の方の言葉に励まされこれまでやってみられたのだと感謝の気持ちで一杯です。

最初に送り出したこどもたちは既に30歳を超えもう立派な社会人になっています。

 

 

 

 
 
 
 
 
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■ 先ほど専門学校の校内を見学された時、学生ホールで本校1年生と話していましたね。何を話していたのですか。

□ 私の大切な後輩たちを叱咤激励していました()

皆さんが選んだ保育の世界は素晴らしい世界ですよ、と! 

たとえ先生にならなくても良い母親にはなれますよと話してしました。

こどもたちと過ごす時間はやり甲斐に満ちていますし、こどもたちの成長を直に見ることができることも素晴らしい。

しっかり勉強していい先生になってください、とお話ししました。

 

 

■ 今回、ロンドン文化幼稚園閉園の運びとなりました。

□ 私の健康上の都合で園の運営ができなくなってしまったのが原因です。

天職と思い今まで理想の保育を思い描いて進んできましたが、もうこれ以上無理はできないと体力の限界を感じ閉園という苦渋の選択をしました。

今まで多くの保護者の方々、先生方には沢山の協力をいただいてまいりましたことには感謝の気持ちしかありません。

ロンドン文化幼稚園は26年の歴史に幕をおろすことになりましたが、私たちがここロンドンで育てた宝は世界中で活躍しており、築いた幼児教育の礎はずっと残るものと信じています。

本園を卒園した皆さんがこれからも世界中で活躍してくださることを心からお祈りします。

 

■ ありがとうございました。

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